IT顧問とはパソコンインストラクター+αのお仕事です
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「タイピング技能検定イータイピング・マスター」とは、「タイピングが少しうまくなると可能性が広がる。」をコンセプトに、日本最大級のタイピング練習サービスを開発・運営する「イータイピング社」が実施する検定試験で、ITの基本技能であるキーボードのタイピング技能を評価します。
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3月17日の日記で、業務内容と業務時間の変更をお知らせしましたが、状況が多少改善されましたので再度見直しを行います。

出張パソコン教室及び出張パソコンサポートにつきましては、ガソリンの供給状況がほぼ平常時に戻りましたので、再開いたします。

業務時間につきましては、電力供給不足による全国的な節電奨励が続いておりますので、当社と致しましても節電対策のため、当面営業時間を見直します。詳細は下記のとおりです。

平日の営業時間 AM10:00~PM6:00(ただし、PM6:00以降の授業のご予約を頂いた場合は授業終了まで。この場合、PM8:30までに授業を終了。)

土曜日の営業時間 AM10:00~PM5:00(ただし、PM5:00以降の授業のご予約を頂いた場合は授業終了まで。この場合、PM6:30までに授業を終了。)

定休日 水曜日及び日曜・祝祭日

 

営業時間中であっても、節電対策で照明の光量を落としております。ご不便をおかけしますが、何卒ご理解とご協力をお願いいたします。

今日で、あの大震災から2週間が過ぎました。亡くなられた方はあの阪神・淡路大震災を超える1万人以上で戦後最悪の自然災害となりました。

茨城県の被害に関する報道は、東北の報道に比べると圧倒的に少ないので、茨城の被害はあまり知られていないようですが、鹿嶋市にある私の父の会社が津波の被害を受けたように、津波が沿岸部に押し寄せ、いまだに通行止めになっている国道や県道もあります。

自分の家の状況(断水が続いていたり、屋根瓦が割れ落ちたり)やガソリン不足もあって私はすぐには実家の様子を見に行く事が出来ませんでした。13日以降の出来事を簡単に書いてみると。。。

3月13日には、私の自宅のある地区でも停電から復旧しました。停電が明けると、お店の営業も再開される所がありました。
それまで我が家と同様に自動車の中で過ごした人が多かったのか、それとも品不足を心配してか、ガソリンスタンドの周辺道路が大渋滞となりました。(その後現在まで、近くのガソリンスタンドは品切れの為の閉店が何度かありましたが今週になってようやくそのお店は通常営業に戻ったようです。が、市内に限らず土浦市内でも品不足の為に閉店しているGSは震災から2週間たった今日もいくつか見受けられました。)
自宅の水が出なくなったので、13日に事務所の水を汲みに行きましたが、既にこちらも断水。困っている所へ、目の前のドラッグストアが営業を再開してくれました。まず確保したのは飲料水とパン。。。
自宅近くのスーパーでも営業が再開されましたが、何故か店内ではなく、駐車場に出ての青空市状態でした。売っているのはカップラーメン、温めるだけのご飯など。。。

13日の夕方、2時間ほど一時的に水が出ました。水圧が低かった為か、台所や風呂場では殆ど出ないので、建物外の駐車場の蛇口から水を汲んではお風呂や台所に運び、ペットボトルなどに水をストックしました。そして、夜には久しぶりの入浴が出来ました。

14日、月曜日なので本来は仕事。ですが、気持ちは「それどころではない。」感じでした。朝6時~8時の2時間だけ水が出ると言うので、6時過ぎに起きてまずは水の確保。それが済んでから、事務所の片付けが殆ど済んでいなかったので、給水所に水を貰いに行った後、朝9時前から掃除。すると、10時からの生徒さんが来てくれました。こんな中、来て頂けて感謝。ただ、授業中もかなり大きな余震がありましたが。。。
同じく14日、市内の顧問先のお客様から「インターネットが繋がらない」の電話が。近い事と、緊急を要する案件だったので車で訪問。ここでも「地震凄かったねぇ。。。」の話。お伺いした場所の近所では、家の周りの石塀が全て崩れている所、瓦が落ちている家、何軒もありました。。。
同じく14日、妻たちが(駐車場で営業していた)自宅近くのスーパーへ行きましたが、外で営業している訳が分かりました。店内の天井が落ち、危険がある為のようでした。

14日は2時間水道が出たおかげでお風呂に水をためる事が出来ましたが、その後はいつ水がちゃんと出るか分からないので、お風呂はその日は我慢しました。(15日には入りましたが。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「(一日のうちで2時間だけでも)水が出る。」と言うのは、この14日が最後でした。この後は給水場所に指定されている近くの小学校などにペットボトルなどを持参して1人10リットルの給水を貰いに行きました。ガソリンが貴重な時なので、車はこの「水の確保の為」の手段となりました。

15日からは、「給水所」になっている近くの小学校に水を貰いに行くのが最優先の仕事になりました。1人あたり10リットル。家族4人で行っても貰えるのは40リットル。お風呂には到底足りませんが、食事に使う水、トイレに流す水として使いました。食事は、洗い物をなるべく少なくするために食器をサランラップで包んで食べました。食後、そのラップを外せば食器の汚れは最小限で済みました。。。

19日までは、ほぼ同じ毎日。一日のメインの仕事は給水所へ行ってお水を貰う事。この間、事務所兼パソコン教室はシャッターは開けていましたが「開店休業」状態でした。生徒さんも「ガソリンがなかなか手に入らず、車で動けないので教室へは行けません。」という方が殆ど。。。14日にお伺いしたインターネットトラブルのお客様が、16日に再度トラブルが発生したので、そこへ出張サポートへ行った位で、その他は1日に1コマ授業があるかどうかの状態でした。ところで、このインターネットトラブル、その近くの顧問先でも同様の症状が出てしまい、2軒掛け持ちでの訪問。途中からはNTTのサービス担当の方と電話で復旧方法を聞きつつ、2軒の家を行ったり来たり。。。「なんかNTTの下請けみたい。。。」と自分で思ったりもしました。
このインターネットトラブルの訪問時、貴重な情報を耳にしました。「水道管の漏水調査の為に、試験的に水を流す。ただし、飲めない水。」という情報。これを聞いて早速妻に電話。「出たら、お風呂に水をためて!」と。この日は水の勢いはさほどではありませんでしたが、日を追うごとに水の勢いがよくなり、お風呂に水をためるには不自由しなくなりました。が、飲み水には適さないという事でしたので相変わらず給水所通いは続いていましたが。。。

その19日、うちの教室へいつも来る郵便屋さんが「石岡の〇〇のGS、午前中にタンクローリーが来てましたけど、その後ちょっと車が並んだだけだったから、今行けば給油できるかもしれませんよ!」と言うので、さっそく行きました。が、時すでに遅し。行ったらスタンドは閉まっていました。。。でも、そこへ向かう途中、いつも利用している自宅近くのGSでタンクローリーが補給しているのを目撃していたので、その後しばらく様子を見ていました。夕方4時と夕方5時の2回チェックしましたが、開店する気配が無かったので「明日の朝、行けば入れられるかも。」と思って事務所へ引き返し、次の日を待ちました。。。

20日の朝8時過ぎ、朝ご飯は食べず、ジョギングの服装で車に乗り近所のGSへ。そしたらやっぱり営業していました。でも、家を出たのが遅かったみたいですでに凄い渋滞。GSから1kmほど先までの渋滞の列に並びました。結果、1時間並んで20リットルを給油。何とかガソリンタンクの半分を少し超える位までの量は確保できました。(ブレイドのガソリンタンクは60リットル)

ガソリンが入ったことで気持ちに少し余裕が生まれました。そこで、震災後初めてのマラソン練習に出かけました。走りたくて気持ちがモヤーっとしていた事と、「GSの渋滞、どれくらい続いているんだろう。」という野次馬根性が出てきて、それを見に行くためにも久しぶりに走りました。気持ち良かった(^^) ただ、GS渋滞は私が並んだ時がピークだったようで、その後は長い行列はありませんでした。もしかするとまた品切れだったのかもしれませんが。。。

その20日、私は一人で鹿嶋の実家へ行きました。いつも鹿嶋へ行く時に通る鹿行大橋が崩落しているとニュースで聞いていたので、別ルートで。ガソリン不足の為か、車の通行量はかなりいつもよりも少なめでした。途中のスーパーやファミレスなどのお店も殆ど閉まっていました。鹿嶋市内は特に閉店しているお店は多いようでした。

屋根にブルーシートが目立つ鹿嶋市内の様子実家に行くと、実家でも多少被害が。家の中や外の壁にヒビが入り、エアコンの室外機がブロックから落ちていました。でも、瓦は無事でした。実家の近所では、瓦がダメになったところは多いようでしたが。

 

 

 

その後、弟と共に弟と父が勤務する会社へ向かいました。が、その前にその会社近くの状況を見に行きました。

住金鹿島製鉄所のそばは、津波が押し寄せた傷跡があちこちにありました。
「泉川」の交差点を抜けると、道路が急に泥の跡が目立ち、路肩には泥だらけの車が何台か放置されていました。さらに、神栖市へ向かう国道124号線に入ってしばらく走った頃から衝撃で声が出なくなりました。

鹿嶋市と神栖市を結ぶ国道124号線沿いの風景

国道124号線の両脇の電柱は激しく傾いていました。アスファルトは歩道も車道もデコボコがひどく、道路脇の建物にも影響が。画面左側に見える「WonderREX」は、かつて「WoderStation鹿島一番館」だった頃、私が勤務していたお店。その建物と駐車場の敷地、その隣のそば屋さんの入り口、通りに面するお店のほとんどが、「地面が波打って、建物が傾いて、しばらく営業なんてとても無理。」という惨状でした。

 

 

その後、父と弟の会社へ。

「2011年3月12日」の日記にも書きましたが、父の会社は津波の被害に遭いました。

津波に襲われた父親たちの会社(茨城県鹿嶋市長栖)建物内は泥だらけでした。ヘドロの匂いもしました。ただ、この20日の時点でもまだ断水していて掃除がままならない状態でした。

 

 

 

 

父親たちの会社の裏、住宅の目の前にもコンテナが…津波は、港から大量のコンテナを流していました。このコンテナが何度も会社の壁やフェンスに当たり、フェンスは壊れてしまったそうです。。。

これらの風景を見た時、本当にショックでした。そして、逆に茨城県内の死者が20人である事に驚きました。こんなコンテナがいくつも流され、車が流され、そんな状況だったらもっと死者が多くてもおかしくないような気がしました。それでももちろん、被害に遭われた方が少ない方が良いに決まっていますが。でも逆に、亡くなられた方が少ない為にテレビ等であまり取り上げて貰えない現実もある気がします。この鹿島・神栖地区、潮来地区、大洗地区、北茨城地区、海側を中心に茨城県でもかなりの被害が出ています。。。

 

24日には、自宅の屋根に応急のブルーシートがやっとかかりました。25日で2週間が過ぎ、徐々に普段の生活に戻りつつありますが、やはり復旧までにはかなりの時間がかかると思います。余震もまだ続いていますし。。。
最寄りのJR常磐線の神立駅は、常磐線が上野~土浦までしか復旧していないため、今も閉鎖されたままです。

東北の方の惨状を見ると本当に胸が痛くなりますが、震災にあった全ての人が何とか力強く踏み出せるよう、少しでも希望が持てる社会であることを望みます。原発もそう。刻一刻と状況が悪くなる事だけは勘弁して欲しいのですが。茨城と福島原発の距離は遠いようで近い。子どもを持つ親として、この距離はとても不安にさせてくれますが、それでも何とか頑張って明日を信じようとしているのですから、原発問題も踏みとどまって欲しいと願うばかりです。。。

ほぼ一睡も出来ない状態で迎えた3月12日の朝でしたが、ご近所の方のほとんどが同じ状態のようでした。「車の中だし、余震は何回もあるし、ほとんど眠れないよね。。。」という会話を隣近所の方としていました。

朝食は、昨夜に食べたメロンパンの残り半分を食べました。相変わらず食欲が無かったのでそれだけ。。。

朝9時頃、隣の家の方から「瓦、ダメなやつだけでも先に落としといた方が良いよ。」と言われ、その方が持ってきた脚立で2人で一緒に屋根に上がる事になりました。でも、その前に2階の窓から状況を撮影したのがこれ。

建物の一番上の2階の屋根から落ちた瓦が1階の屋根に落ちていました。落ちてきた瓦で、1階の屋根の瓦もかなり割れていました。。。

この1階の屋根に落ちてきた瓦と、1階の割れた瓦を取り除き、2階の瓦も取り除こうとしましたが、素人の我々には2階の屋根の上まで登ることはできず、2階の屋根はそのままに。

11日の日記には水道から水が出なくなったと書きましたが、今思い返すと12日のお昼ぐらいまでは水は出ていました。ガスも安全弁か何かが働いたのか、一旦は止まりましたが、ガス(プロパンガス)は無事でした。電気は相変わらず停電でしたが。。。

停電している状態、余震が続く状態では家の中には入れず、殆どが車の中か外にいました。トイレの時だけは家に入りましたが、娘がトイレに入る時には私か妻が玄関で余震の様子を見ながら安全かどうかを見ていました。

ラジオ付きの懐中電灯を持っていたので、情報はそのラジオから入ってきました。NHKや地元茨城の「茨城放送」からの情報はかなり役に立ちました。。。

お昼ごはんは、水がまだ出ていたのでカップラーメンと、妻が圧力鍋で炊いたご飯と、妻の友達の中国人の方 から差し入れて頂いた焼きたての餃子を4人で。家の中はまだ怖いので、駐車場に止めた車のバックドアを開け、そこをテーブル代わりにイスを車の後ろにおいて 食べました。食べ終わったら、再び車へ。妻は食器を洗おうとしましたが、断水が始まったようで水が出なくなりました。。。電気がダメ、水もダメの状態になってしまいました。

お風呂に残り湯があったので、トイレに入った後はその水をトイレタンクに入れて水を流しました。お風呂の残り湯は全てトイレに使われました。。。

家の駐車場に止めた車にずっといるのも気が滅入る気がして、家族4人で車で市内をちょっと見に行きました。が、停電中である事が一番影響しているのでしょう、信号がダメ、お店も殆どが閉まっていました。。。

ラジオからの情報で、「(実家の鹿嶋市へ向かう途中の北浦にかかる)鹿行大橋(ろっこうおおはし)が橋の途中が崩壊し、車が流された。」というニュースがありました。これを聞いて鹿嶋の実家の様子もまた気になりました。朝から母親から何度か携帯に電話があったのですが、私のiPhone4は殆どが「圏外」で、瞬間的に圏外を脱出した時だけ母親からの電話が繋がったようですが、取った瞬間に切れるようなことが頻繁にありました。
携帯がそういう状況だったので、近くのコンビニやスーパーにある公衆電話を探しに自転車で家を出ました。1軒目のコンビにでは行列が長くて諦めました。2軒目のスーパーの公衆電話は、前の人がちょうど終わった時で後ろに並ぶ人も無く、すぐに使えました。
母親から何度も携帯に電話があったので、母親の携帯へ電話。「本当にヒドイ地震だったねぇ。。。」と言っていましたが、今は落ち着いているようでした。でも、父親が無事なのかどうかを聞くのを忘れていました。でも、「慌てたり暗くなったりしていないから、たぶん大丈夫なんだろう。。。」と思うことにしましたが。

夕方になって余震の数が少し減った感じがしたので、外がまだ少し明るいうちに夕飯にしました。6時過ぎ頃だったと思います。昼間炊いたご飯と、妻が以前作って冷凍させておいた餃子を焼き、昼間作ってくれたおかずを食べました。停電で冷蔵庫の食品が危なくなってきたのでその処理の意味合いもあり、昼ごはんに続いてちょっぴり豪華でした(昼も夜も餃子がメインでしたが…)。

夕飯後、再び車の中へ。前日は妻の車で過ごしてガソリンが結構減ったので、夜寝るのは私の車に決めました。とは言え、私の車のガソリンは半分よりも少し多いくらい。なので、なるべくガソリンを使わずにすむように、家の寝室から毛布などを持ち出して車の後部座席を「寝室」にしました。

二晩目になると、若干気持ちに余裕が出たのか、やることがないからなのか、ずっと駐車場に車をとめたまま過ごすのも辛くなり、また車で市内を回りました。すっかり辺りは暗くなっていたのですが、小学校や私がホームページを作った市の施設からはうっすらと明かりが見えました。車で近づいてみると、フロアに多くの人が避難しているのが見えました。。。

土浦市では電気が復旧し、スーパー「とりせん」が営業していると聞いたので、ちょっと行ってみました。すると、近づいた途端にiPhoneに何通もメールが入ってきました。とりせんの駐車場で携帯を見てみると、「圏外」から脱出して電波を受信できる状態になっていました。群馬にいる友人から留守電が入っていて、とても心配してくれているようでしたので夜11時過ぎにも拘らず、「無事です。」の電話を入れました。そして、ツイッターにも「無事です。」のツイートを入れました。「とりせん」でトイレが使えればと思って行ったのですが、土浦市も断水しているらしく、トイレは使えなかったので、そのまま帰ることにしました。。。

夜12時頃にかすみがうら市内に入りましたが、出かけた頃と違って信号が復旧していました。自宅のすぐ近くの信号も。自宅に入って確認すると、停電から復旧していました。

余震はまだ続いていたのですが、電気が復旧した安堵感と車の中での寝にくさから、やはり自宅の寝室で寝ることにしました。でも、すぐに逃げれるようにパジャマではなく普段着で。。。それでも、ベッドで眠れる事に幸せを感じました。

ところで、停電が改善されたからなのか、iPhoneの調子がかなり良くなりました。そこで、(会社のアドレスを含めてすべての)メールの送受信をかけると弟からのメールが来ていました。父親が無事だった事、その父親が津波の被害と格闘したであろうことがわかる写真が添付されていました。

門柱のような柱の左側、ひしゃげたフェンスがありますが、そのさらに左もさらにフェンスがあったのですがなくなっています。電柱脇には倒れたエアコンの室外機が。そのさらに奥のフェンスも外れたり落ちたりしています。その建物の左が通行止めになっていますが、奥にある赤い長方形の物体(「NAMSUNG」と書かれた物体)は、住金鹿島製鉄所方面から流されてきたコンテナ。こんなコンテナがいくつも流れてきて、父親たちの会社にぶつかり、フェンスが破壊されました。。。鹿島港の湾のすぐそばなので、津波が押し寄せたのでしょう。。。

 

会社事務所の内部です。1枚目の写真で写っていた窓の内側です。壁の色が変わっているところまで水(父は「ヘドロ」だと言っていました。)が入ったようです。応接セットやデスクがぐちゃぐちゃになっていたそうです。

 

 

父は、津波が来たとき、車(クラウン)に乗って逃げようとしたそうです。が、乗った途端に車が水に浮いて流され、(事務所よりも若干高いところにある)工場内に置いてあったトラックの所まで流されてトラックにぶつかったそうです。どんどん水位が上がるので、そのトラックに乗り移り、水が引くのを待ちました。水が引いたのは翌朝でした。。。

トラックのタイヤの上の方まで水が来たのがわかります。このトラックが置いてあるのは会社の敷地前の道路よりも高いところにあるのですが。。。

 

停電から復旧し、初めて今回の地震をテレビ画面で見ましたが、目を覆うばかりの東北地方の惨状には心が痛みました。もちろん、それ以外にも、実家のある鹿嶋市や潮来市方面、大洗や日立方面など、茨城県でもかなりの被害が出ています。それを思えば、屋根瓦が落ちたものの、停電や断水だけで済んで良かったと思う事にしました。。。

3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

当社におきましても3月17日現在、事務所・自宅共に断水が続いており、事務所では掃除やトイレの使用に苦慮している状態です。この為、行政等が実施している給水所へ1人10リットルの給水に頼る毎日が続き、ガソリン不足の中、自動車は専ら水を確保する為の移動手段となっております。

また、電力供給不足による全国的な節電奨励の動きに鑑み、当社でも当分の間、営業時間並びに営業内容の変更をさせて頂きますので、ご理解とご協力をお願い致します。

営業時間 AM10:00~PM5:00(水曜日を除く平日・土曜日)
営業内容 出張パソコン教室及び出張パソコンサポートは当面中止します。
なお、トラブルサポートに限り、案件内容と場所によってはお引き受けしますので、まずはご相談下さい。

また、パソコン教室に通ってくださる生徒さんたちの中にも、当方と同様に外出がままならない方がいらっしゃると思います。前払いで授業料をお支払い頂いていて授業が出来なかった場合の授業料の繰り越しは、翌月までとしていましたが当面の間はこの「翌月まで」の区切りを撤廃いたします。

ご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願い致します。

3月11日の午後は、14時頃にお得意様である、市内のある会社様の事務所に訪問していました。社長様の奥様が最近スマートフォンを購入され、その使い方のレクチャーや頼まれていた「IT機器の見積もり」を持って、いつも可愛がって頂いている2歳のわが息子と2人で訪問しました。

お話が始まって30分位過ぎた頃、突然事務所内が揺れだし、普段の地震よりも大きいと感じた私は慌てて息子だけ机の下に避難させました。ところが、予想以上に大きい揺れだったので私も机の下へ。おそらくその時、奥様も同時に別の机の下へ。

私はこれまで、地震の時に机の下へ隠れた事はありませんでした。が、今回はとっさに隠れました。これまでに経験した事のないような激しい揺れが襲ったからです。床も、事務所の中の書庫や机も、隣の工場も、あたり全体が激しく揺れていました。「(事務所の)中にいると危ないかも!」と言う奥様の声を受け、反射的に息子を抱きかかえて机の下から出て、波打つ事務所の床を急いで歩き、駐車場の方へ。そこで見た光景は、とめてある乗用車やトラックが前後左右、上下に激しく揺さぶられ、今いた事務所も工場も近所の住宅も目の前のもの全てが激しく揺れていました。地面が激しく揺れているので立っているのが困難な状態。。。それだけのものが激しく揺れているので音も凄まじく、2歳の息子は恐怖で泣き出してしまいました。抱っこしたまま揺れが収まるまで駐車場にしゃがみ込み、揺れが収まってから息子を私の車に乗せました(たぶん。かなり動転していたので若干記憶があやふやです)。

すぐに奥様がラジオを用意されたのですが、そこから聞こえてきたのは「(場所は聞き取れませんでしたが)震度7の大きな地震」という衝撃的な言葉。すぐに妻の携帯に電話しました。妻は、私と息子が外出している間、事務所で1人でいるはずでした。が、携帯が全く繋がらない。。。とても不安になり、「落ち着いたらまた来ます。」と言うような事を言って、その会社を後にしました。

事務所までは5km弱の道のりですが、その間はとても長いように感じました。あちこちで、地震に驚いて建物の外に出てきたらしい人を見ました。停電しているのでしょう、信号は全部消えていました。なので、交差点は細心の注意が必要。でも、余震のせいでスピードを出せる状態ではありませんでしたが。その道のりの間も、何度も地震で地面が揺れているようでした。塀が崩れていたり、屋根瓦が落ちている家を何軒も見ました。墓石が倒れてしまった墓地もありました。その道中、妻への携帯はずっと繋がりませんでした。。。

ようやく事務所へ着くと、壁に立てかけてあったシャッターの支柱が横倒しに。ガラスに当たらなくて良かった。
中に入ると、妻がいました。怪我もなく無事でした。まずそれで安堵。でも、事務所の中はメチャクチャになっていました。

ラックに置いてあったテキスト類はほとんど全て落下。そして、そのラックは左側に見える木目の壁にぴったり置いていた筈なのにかなり右へ動いていました。

今回、写真を撮るのを忘れていましたが、デスクトップパソコンが置いてある机もかなり動いていました。パソコン自体は、妻が落ちないように抑えてくれていたそうです。

 

 

 

 

 

教室のバックルーム。ぐちゃぐちゃに物が散乱しました。脚立が倒れ、冷蔵庫の上のレンジが落ち、その上のデスクトップパソコン(お客様の使用済みパソコン)が落ち、食器棚から食器が落ちて割れていました。

こんなぐちゃぐちゃな状況が教室中で起こっていました。。。

 

 

 

 

事務所のある建物は鉄筋コンクリートの建物なので、かなり丈夫です。なので建物自体の被害はさほどなかったようなのですが、自宅は40年位前に建てられた木造の建て売り住宅。もっと悲惨な状況が予想されました。「倒壊しているかもしれない。」と思ったほどです。

事務所から自宅までは2km弱の道のりです。が、その道中に何があるか分からないので、まずは妻の車で夫婦と息子の3人で自宅に向かいました。事務所を出てすぐ、運転中でも体に感じる強い余震が。運転するのが困難なほどの揺れだったので、すぐ近くのコンビニの駐車場で揺れが収まるまで避難。収まった後、再び自宅へ。途中、道の両側の景色は倒れた塀と屋根瓦が落ちた家々が。。。

自宅の姿が見えた時、「倒壊は免れた。」と思いましたが、屋根瓦はかなり落ちていました。

中もかなりの惨状でした。事務所のバックルームのような状況が全ての部屋で起こっていました。でも、とりあえずは家があったのは確認できたので、残るは娘の無事の確認でした。何しろ娘の通う小学校は我が家よりもさらに古い建物で、思わぬ危険(天井が落ちてきたりして惨事になる事もあり得るかと…)が起こる事もあり得るので、そこが心配でした。なので、家を片づけるよりも先に娘の通う小学校へ。距離は1km弱。この間も余震は続き、徐行運転で細心の注意をしながら信号が消えた交差点を抜けつつ向かいました。

小学校のそばにあるドラッグストアーの駐車場に車を停めましたが、ドラッグストアーは既に店内には入れないように封鎖されていました。停電が原因なのか、店内の状況が営業できる状態ではないのが原因なのか分かりませんが、店員さんらしき人は店内ではなく駐車場の車の中にいるようでした。。。

小学校の校庭には全校生徒と先生方が待機していました。そして私と同様に、子どもを探すお家の方の姿が。。。娘の顔を確認できたと同時位に担任の先生が私に気付いて下さり、娘と共に帰る事ができました。

家族4人がそろった状態で再び事務所へ。

大きな揺れの余震が続いていたので中を片付ける事もままならず、とりあえずは当面の食料を確保するのが先決と思い、カップラーメンや菓子パンなどのストックがあるバックルームの奥に入る事を目指し、バックルームだけ通れるように若干片づけをしました。片付けないと、パンやカップラーメンが方々に散らかっていたので探せなかったと言う事もありますが。

食料の確保が出来た時点でやっと少し気持ちに冷静さが戻ってきました。
停電しているし余震も続いているので、事務所で仕事を続ける事は出来ません。と言うよりも仕事をする気になれませんでした。建物的には自宅にいるよりも事務所にいる方が安全な気はするのですが、自宅も心配。なので、家族全員で自宅に戻る事にしました。今度は、妻の車と私の車の2台で帰りました。家に着いたとき、「すぐに逃げられるように。」と車庫にはバックで入れました(いつもは前進駐車)。

家についてまずした事は水の確保。「今はかろうじて水道が使えているけど、いつ使えなくなるか分からない。」と思ったからです。とりあえずはヤカンやペットボトルに確保しました。
この時、余震が続いていたので、自宅には(すぐに逃げられるように)靴を履いて入りました。普段はスリッパに履き替える事務所でも、そうしていました。と言うより、家の中にいる事に恐怖を感じていました。「大きな余震が来て、家が倒壊したら死んでしまう。」という恐怖でした。同じ事をご近所中の方が感じていたようで、かなりの人が家の外にいました。

そんな中、気になっていたのが「鹿嶋市の実家の方は無事なんだろうか。」と言う事。鹿嶋市にある実家は、かなり海岸に近いところ。高台にあるのでその点は安心でしたが、父親と私の弟が仕事をしている事務所は住金鹿島製鉄所があるすぐそばの、海岸近くでした。。。両親の携帯に電話をしても繋がらず、弟の携帯に電話しても繋がらず。。。そうこうしているうちに、私の携帯(iPhone4)はいつの間にか「圏外」に頻繁になってしまいました。仕方ないので、夕方4時頃に唯一メールが使える弟に「そっちは大丈夫か?こっちはみんな大丈夫。」とメールを送りました。ほとんど「圏外」になっている私の携帯では、なかなか送る事が出来ず、その日のうちに返事を受信する事も出来ませんでしたが。。。返事が受け取れないのでやはり心配で、何とか連絡が取れないかと思い、同じソフトバンクの妻の携帯を見たところ「圏外」にはなっていなかったので、そこから両親と弟に連絡を取ってみましたが、両親には繋がらず。。。

ようやく弟とは連絡がつきました。弟と母は無事。水戸にいる(私の)妹も無事。父親は事務所にいるはずだけど、連絡が取れないという事でした。加えて、事務所周辺の浸水がひどく、周辺道路が多数ひび割れしていて近づけず、今はどうにも出来ないと言う事でした。。。親父の生命力を信じるしかない状況でした。

外が暗くなってきたので、寝る場所を考えるしかありません。停電している状況では夜は何もできない。余震が続いているので家では寝たくない。そこで、家族4人で車の中で寝る事にしました。エンジンをかければエアコンも使えるので暖をとれますし。(また瓦が落ちてくるとも限らないので、建物からなるべく離した)家の車庫に車をとめ、その中でパンを食べ、寝る事にしました。パンはメロンパンを半分。やはり食欲がありませんでした。飲み物は、台所のヤカンに沸かしてあった(麦茶の代わりに飲んでいた)ルイボスティーがあったので、それを2本の水筒に入れてそれを飲みました。水道はもう出なくなっていたと思います。。。

ラジオを聴きながら車の中にいましたが、今回の地震がかなりひどかった事が分かりました。が、自分達がこれからどうやって過ごしていくかに必死でした。

ずっとエンジンをかけたままではすぐにガソリンが無くなってしまうので、車内が温まったらエンジンを切るようにしていましたが、強い余震が来るたびに「ひどかったら建物から離れなきゃ。」とやはりエンジンをかけていました。そんな事を夜明けまで繰り返していました。なので、私はほとんど眠れませんでした。

7時頃だったでしょうか。新聞配達の人が来ました。非常時なので(いつもの2時頃の配達が無かったので)新聞配達は無いかもしれないと思っていたので、新聞が来た時「有り難い。」思いがしました。
ただ、一面の「東日本 巨大地震」の見出しと津波と炎に飲み込まれた町の写真を見た時、大きなショックを受けました。。。

以前、当社ではFAX兼用複合機としてキャノンのMP-790を利用していました。現在の事務所を構える前、自宅に仕事用の電話回線とFAX回線をISDN回線で引いていた時に購入しました。平成16年4月に法人にしましたが、その前から準備はしていたので、購入はたぶん平成15年の12月頃でしょうか。。。

教室では複数台数パソコンがあるので、プリントサーバーを繋ぎ、どのパソコンからもプリンターとして使用できるようにしていましたが、FAXと兼用なので「コマーシャルの営業FAX」が結構入ってきてインクの消費が早く、しかも去年頃からはインクの液漏れがひどくなってきていました。

そんな中、去年の秋頃にはA3カラーレーザープリンタも不調に。メーカーに問い合わせたところ、かなりの修理代がかかりそうだと判明。

そこで、「A3も印刷できるプリンターでFAX機能がついている複合機があれば、1台にまとまって便利だから、そういう機種を探そう。」と考えました。

今まで使っていたキャノンやEPSONにはそのような機種は無く(あったとしても業務用で高価…)、若干諦めかけた頃に「ブラザー」の存在を思い出し、調べてみたところにちょうど良いのがありました。

ブラザー工業・A3カラー複合機「MFC-6490CN」ブラザーの「MFC-6490CN」という機種を購入。A3カラー複合機でモノクロ印刷も速く、400枚も入れておける給紙カセットで基本機能は充実していました。

A3カラー複合機というだけあって、印刷もスキャンもA3にフルカラーで対応。オートドキュメントフィーダー(ADF)が付いているので、複数ページあるA3用紙をPDF化できます。

元々ネットワーク対応(有線LAN、無線LANのどちらかを選択して使用)なので、印刷だけでなく、スキャンもどのパソコンからも使いやすいのが一番気に入っています。

それとやはり、これまで使っていた2台の機械(FAX兼用プリンターとA3カラーレーザープリンター)が1台にまとまったのが最大のメリットでした。インクジェットタイプなので、レーザーほど印刷の仕上がり感にはシャープさはありませんが、顔料インクで1.5plの最小液滴量なので、インクジェットプリンターの中ではかなりビジネス用途向きなのではないでしょうか。写真もかなりきれいに印刷できます。。。

iPhone4の画像を印刷さらに、iPhoneやiPadに「Brother iPrint&Scan」というアプリを入れれば、iPhoneやiPadの画像も印刷できます(キャノンやEPSONのネットワーク対応複合機にも同様のアプリはあるようです)。
この場合、MFC-6490が有線LAN接続でも、その同じネットワーク環境にiPhoneやiPadが無線LANで接続されていれば、印刷が可能です(当然と言えば当然ですが…)。
この機能はとても便利で気に入っています。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日3月5日は、顧問先の土浦市の保育園で新園舎の竣工式がありました。

先月中旬、この保育園様から「竣工式で使う『式次第』と、『園のパンフレット』を作成、印刷して欲しい。」という依頼があり、デザイン作成から始まって制作を行いました。
パンフレットの方は、当社で制作したホームページを基に作ったのでさほど大変ではなかったので3月1日にすんなり納品出来たのですが、式次第はかなり大変でした。

MFC-6490CNでの印刷建物の内外を撮影して式次第に載せるのですが、建物の完成・引き渡しが3月1日。
でも、1日は天候が悪くて撮影は2日に。2日に撮影しようと訪問したところ、重機や仮設トイレがまだ建物そばにあって撮影できない状態^^;
仕方なく、撮影は3日に順延に。どうやら、保育園の園長先生方は現場監督さんに「撮影は1日か2日。」と伝えたそうなのですが、うまく伝わっていなかったようでした。。。

3日の午後2時過ぎに撮影開始。3時過ぎに撮影が終了し、その後帰社。
帰社後、式次第に挿入する写真の選定作業。決定後、式次第の最終原案を作成し、それを保育園側へメールで送付。この時すでに時間は夕方6時半を過ぎており、保育園側からの原案の承認確認は取れませんでした(>_<)

竣工式の前日である4日の朝一(8時半頃)に「式次第、あの構成でOKです。印刷お願いします。」の連絡。9時半に出社してすぐに印刷を始めました。左はその時の写真です。

スピード重視の印刷であればさほど時間はかからなかったかもしれませんが、左の写真の通り数枚の建物写真を入れる都合上、「画質重視」の印刷にしました。用紙はA3なので結構印刷に時間がかかります(試しに測ったら、1枚に3分半かかりました)。
今回の式次第はA3を二つ折りにする必要があるので、ある程度乾いたものから二つ折り作業に。本来ならば一晩乾かしてから折り作業をしますが、今回はその日のうちに納品しなければならないので、「突貫工事」状態でした。。。

100部の印刷と折り作業が終わったのが夕方4時半頃。完成後、納品へ。
1日(本来は撮影日。天気が悪かったのでパンフレット納品のみ)、2日(撮影のはずだった日)、3日(仕切りなおして撮影)、4日(前日にやっと納品)と4日連続で訪問し、その前もパンフレットや式次第の作成作業にかなりの時間を割き、やっと昨日の納品で一区切りがつきました。

「良いのが出来た~(^O^)」と、納品の際に園長先生に言って貰えて疲れが飛ぶ思いでしたが、納品から帰った後はさすがに疲れがドッと出たのか、事務所の机に向かったまま、かなりの時間熟睡していました(^^ゞ

ところで、このブラザーの複合機「MFC-6490CN」は現在、購入すると5,000円のキャッシュバックがあるキャンペーン中のようです。当社でご購入頂くと、納品から設置や初期設定、ネットワーク設定やパソコンへのインストール作業もすべてお任せですから安心ですよ(^^♪ (対象は2月1日から3月31日までにご購入頂いた方です。それ以前にご購入頂いた方、御免なさい。。。)

P.S 忘れていたメリットで大事な点があったので…「見るだけ受信」が出来るのは便利。受信したFAXを液晶画面で確認し、印刷したければ印刷、必要無ければデータ消去できるのは紙とインクの節約になって便利です。