IT顧問とはパソコンインストラクター+αのお仕事です
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当社は、「タイピング技能検定イータイピング・マスター」の認定校です。
「タイピング技能検定イータイピング・マスター」とは、「タイピングが少しうまくなると可能性が広がる。」をコンセプトに、日本最大級のタイピング練習サービスを開発・運営する「イータイピング社」が実施する検定試験で、ITの基本技能であるキーボードのタイピング技能を評価します。
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親子

本日4月1日は消費税が5%から8%に変更される日でしたが、私にとっては、当社の設立記念日であり記念すべき10周年でした。

起業して10年。長かったような短かったような感じです。。。



私が小学生の頃だったと思いますが、自宅に「田代商店」の表札がつきました。鉄鋼関係の商売をしていた父が起業して付けた名前です。その頃から“起業”という言葉が頭のどこかにあったのかもしれません。ただ、父親の作った会社を継いで社長になるという事は考えていませんでした。

私が小学生(又は中学生?)のころ、「大都会の大阪で一人で商売をしているなんて、そんな父を尊敬しているけど、コピー人間にはなりたくない。」というような趣旨の作文を書いていました。それをどう取ったのか知りませんが、何故か父はその作文をずっと持っていたようです。。。

何故、「コピー人間になりたくない。」と言ったのか。。。

父の口癖で今でもよく覚えているのは「他人に負けるな!」とか、「稼がなきゃダメだ!」とかでした。。。「何か違う。」とずっと思っていました。どこか、「周りにいる人全てを敵視している」ようで、「お金儲けさえ出来れば良い」と言っているようにも聞こえていました。そういう考え方、好きになれませんでした。「周りの人を否定する生き方をすると、最後にお金は残るかもしれないけど、それで良いのか?」と思っていました。なので、違う生き方を常に考えていた気がします。

いずれ起業することを見据えて、トヨタの販売店に就職して営業マンとして接客を学び、家電量販店でも接客と家電やパソコンの知識を学び、設置や設定のサポート作業を身に付けました。家電量販店の売り場にいる時に、パソコンを買っても使い方が分からずに聞きに来る人の対応をしているうちにかつて教員を目指していたことを思い出し、「パソコンの先生になりたい。」と思ったのがきっかけで10年前に起業しました。企業に属しなかったのは、「パソコンの先生」兼「パソコン等の設置・設定サポート」兼「ホームページ作成」兼「IT業務サポート」兼。。。というような職種が殆ど無かったからです。と言うよりむしろ、「やっと自分で見つけた『本当にやりたい仕事』だから、自分でやる。」と思ったのかもしれません。

この仕事を始めて一番やりがいがあると感じることは、「世の中の人や会社(中小企業や個人商店が中心ですが)の役に立てているという実感を持つことができるし、『ありがとう』と言って貰える仕事である。」という事です。「幾ら儲かったか?」を追求するのではなく、「どれだけの人や会社の役に立てているか?」を追求したいと思い仕事をしています。その為なら、休みの日でも喜んで仕事をさせてもらっています。。。お金は有るに越したことはありませんが、第一目的がお金儲けになるような仕事はしたくありません。そんな調子で10年過ぎました。この先も基本的なスタンスは変わらないと思います。

起業した会社が一流企業を相手に商売をするまでになって順調に売り上げを伸ばし、息子(私の弟)に社長職を譲って会長という役職のまま父は今年1月に亡くなりました。「会長」の通夜・葬儀と考えると参列者の方が少なく寂しい葬儀でしたが、ある意味それは父の生き方を表していたようにも思います。。。

 

「喪中」という事もあり、10周年のお祝いは特にするつもりはありませんでしたが、妻と娘が「お祝いのケーキ」を作ってくれました。

10周年のお祝いの手作りケーキ家族や周りの人のお蔭で、10年何とか続けることが出来ました。これからもますます頑張っていきたいと思います(^^)v

1月19日深夜、鹿嶋市の実家にいる父が亡くなりました。その為、下記の通り臨時休業とさせて頂きますのでご理解・ご協力をお願い申し上げます。

  • 1月24日(金)午後
  • 1月25日(土)終日

昨日から7月になりました。1年の半分が過ぎてしまいました。早いものです。大震災のあった去年もそう思いましたが、今年も早く感じます。。。

4月のブログ( http://blog.nak-ts.com/archives/date/2012/04 )に「新しいスタート」と言うタイトルで息子の保育所の入所式と娘の中学校の入学式を書きましたが、そこでも少しふれたかもしれませんが、妻もその4月からパートに勤め出して環境が激変。ブログを書く暇なく月日はあっという間に過ぎて行きました^^;

今日は、お預かりPCの作業がかなり長時間の物になりそうなのでその合間を縫って「今さら」な話をいくつか。。。

 

4月8日、日立市で行われた「日立さくらロードレース」に参加しました。
昨年は東日本大震災の影響で中止になり、久しぶりの参加(私は10km、中学生になった娘が2.2kmにエントリー)でした。家族4人で車で向かい、車を日立市役所の裏の市役所の駐車場に停めたのですが、外から見た日立市役所の姿はやはり震災の影響で建物に損傷が出ている感じでした。街中でもやはりあちこちで同様に損傷のある建物が。私たちが住む県南よりもより震源に近い分、被害が大きかったと思われます。。。

日立さくらロードレースのスタート前

10kmのスタートの約20分前。この後にスタートする娘と、応援用に目立つ格好の息子と。

日立さくらロードレースのスタート1分前

10kmのスタート1分前です。あいにく、桜は殆ど咲いていませんでした(>_<)

 この日立さくらロードレースで気に入っているのは何と言ってもそのロケーション。それがよく分かる写真がこれ。

日立さくらロードレースのロケーション海の上に伸びる国道6号バイパスを走れるのはとても気持ち良く、これが病み付きになる理由。。。

タイムも、目標の50分切りに成功したのでこれも気持ち良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、娘が参加する中学生の部2.2kmがスタート。

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まだ中学校の入学式前ではありましたが、4月1日時点で中学生となる娘は中学生の部のエントリーとなるらしく、「中学生の部」という2歳年上の子も一緒のスタートでした。そうなるとやはり上級生は速い。でも、娘も日ごろの練習の成果(?)なのか、牛久の時のタイムよりも良いペースで走れていました。なので、気持ち良く走れたようです。

もう一人気持ち良かった人が息子。マラソン大会の応援に行く度に先導の白バイに釘付けになる息子http://blog.nak-ts.com/archives/1508でしたが、今回もやはりそうだったようで。ところが、マラソンが終わった後にサプライズ。

日立さくらロードレースの先導白バイ5kmのスタート前に沿道で待機していたらしい白バイに近づくと、担当警官の方がとても気さくな方で「乗ってみる?」と息子に声をかけてくれました。緊張しつつも上機嫌の息子。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このマラソンが終わった後、日立の河原子海岸にある湯楽の里で海を見ながらの絶景露天風呂で汗を流し、日立南太田ドライブインの「勘太そば」で食事。その時に頼んだものはこれ。

穴子丼とちらし鮨とうどん。このボリュームで850円くらいだったかな。。。味もボリュームも大満足でした。

 

この日立さくらロードレースは、「小旅行」気分が味わえるので好きなんです。たぶん、これからもずっと出ると思います。

先日の息子の保育所への入所式に続いて、今日は娘の中学校の入学式でした。

桜の花も何とか間に合ってくれて、ようやく春らしさが出てきた中での入学式。

娘は、一足先に友達たちと連れ立って初登校。私と妻は、息子を保育所のお迎えバスに乗せてから中学校へ向かいました。と言っても、自宅から徒歩5分位の近さなのですが^^;(ちなみに、小学校までは徒歩10分。子ども達にとっては学校が近いのでとても良い場所です。)

学校へ着くと、新入生のクラス割り表が貼ってあり、娘は6クラスある中の6組だと知りました。なんでも、最近は生徒数が減少傾向にある中で、娘たちの中学校は生徒数はまだまだ多いそうです。。。

そして、入学式が行われる体育館へ。受付の6組の所で書類の受け渡し等を済ませて中へ。

吹奏楽部と思しき集団が入口を入って右手に陣取っていたので、(すぐそばだと大音量で耳が辛いので)私たちは左手に。座った時には、まだ時間が早かったのか結構空席がありました。

しばらくして、在校生が入ってきて「礼の練習」や「吹奏楽部の演奏に合わせての校歌斉唱の練習」等をしていました。みんな真剣に練習していました。私はここの校歌は初めて聞いたのですが、作詞:宮城まり子、作曲:寺内タカシとなっていてちょっとビックリ。卒業生である妻はもちろん知っているようでしたが(一緒に歌っていたので…)。

ほぼ席も埋まった頃、新入生の入場。一眼レフを動画モードにして撮影していましたが、三脚を立てるスペースが無くて手で持った状態で、席に座ったまま目の前の人の頭越しに撮らなければならないので撮影中はずっと「バンザイ」の体勢。これが辛かった。途中で腕がプルプルしていました。。。

9時半から始まった式が11時頃に終わり、保護者の役員決めがあり、それが終わってから子ども達の教室へ。担任の先生の顔を見て、クラスの顔ぶれを見て、4階からの景色を見て、と過ごしている間に解散となりました。その後、子ども達とそれぞれが記念撮影の時間に。一眼レフを持っていた私は知り合いの人たちを写すカメラマン状態でした(^^ゞ

そんな中、妻に娘との写真を何枚か撮って貰いました。そのうちの1枚がこれ。

他の写真は私の白髪が目立ってしまっていて、何だか「トホホ」な写真でしたが、辛うじてこれは見られる写真。

明日から、娘は本格的な中学校生活が始まります。また一つ、新しいスタートの始まりです。「頑張れ!」と言いつつ、自分にもハッパをかける今日この頃です。

一昨日、4月8日は日立市で「日立さくらロードレース」があり、私は10km、娘は2.2kmに出場しましたが、そのお話はまた後日。。。

今日、息子の保育所への入所式がありました。

敦也君、保育所入所式出かける前に自宅で撮影。初めて着る制服に、何だか嬉しそうでした。(私の隣にいた妻のカメラを見ていたので目線が残念。。。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9歳年上の娘がかつて通っていた保育所に、妻と私、主役の息子と春休み中の娘の4人で出かけました。娘の事を覚えてくれていた先生もいて、ちょっと娘も嬉しそうでした。

クラスの部屋に4人で入った後、息子を残して式が行われるホールへ移動。離れ離れになるので、泣いたりするのかなと思ったりもしましたが、案外うちの子は平気みたいでした(ちょっぴり寂しい気も…)。しばらくして、息子たち「新人」の園児とその他のお友達(つまりは保育所の子どもたち全員)がホールに入ってきました。

 

 

敦也君、保育所入所式私の姿を見つけた息子。いきなり集団の中に入って大丈夫だろうかと危惧していましたが、何だか楽しそうでした。この後、初めて歌った筈の「むすんで開いて」を周りの子の動きをまねながら振り付けも出来ていたので一安心。これなら、何とか集団生活も楽しんでくれそうな気がしました。(周りの子ども達等々は顔がはっきりと分からないように画像処理をしております。クリックして拡大した際、目がチカチカしたりするかもしれませんがご了承下さい。)

 

 

 

入所式も無事に終わり、4人で帰宅した後、出張パソコンサポートのお仕事へ。娘の友達(=母親同士も友達、しかもマラソン一家なのであちこちのマラソン大会で会うご家庭)の家でしたので、そのまま4人で訪問。HDDのパーテーション変更が必要な位に「Cドライブ残りわずかだけどDドライブはほぼ空っぽ」のパソコンでしたが、これまでのユーザーアカウントファイルが読み込めない位に調子が悪かったのでPC本体をお預かり。その積み込み作業をしている間に妻の携帯に電話が。先日受けたパートの面接が受かったとの事で、出社日等々の連絡のようでした。

明日から本格的に息子は保育園。来週からは娘が中学校に。そして再来週からは妻がパートに。何だか、一気に環境が変わる事になってしまいました。まぁでも、「新しいスタート」なので受け入れないとですね(^^ゞ

2か月ほど前の日記で息子の鏡を見たときのマイブームを書きましたが、最近また一つマイブームが増えました^^;

「エスカレーター」を見つけると大騒ぎになります^^;カートに乗せているときは大声を上げて騒ぎ出し、(手を繋いで)歩いている時は手を振りほどいて走りだし、エスカレーターに近づきます(^^ゞ
エスカレーターに乗る1歳8か月の息子その度に、私or妻or(小5の)娘がつき合わされます。上がったり下りたり軽く2往復くらい。それ以上の時も。。。
乗っている時は、左の写真の通りとっても上機嫌(^.^)

妻と娘は「何が面白いの?」と言いたいようですが、私はどちらかと言うと「やっぱりか…」という感じ。
何故かと言うと、実家の両親に大人になってからも散々言われた事があって。。。

「お前が小さい時、やっと手に入れた小林旭のコンサートのチケット、お前のせいでお母さんは全然見れなかったんだぞ~!!」と。
そのコンサート会場には私が初めて見たエスカレーターがあり、母親に手を引かれて乗った私はとっても気に入ったようで、その後何往復も繰り返してエスカレーターに乗ったとか。ついにはコンサートが終わるまで(^^ゞいまだにその事を(母親ではなく)父親に言われます。。。

その事をずっと言われていたので、エスカレーター大好きな息子を見ると「やっぱり血は争えない(^^ゞ」と思うわけです。。。

それにしても「コンサートの間中ずっと母親に(私の事を)任せて、自分ひとりでずっとコンサートを楽しんでいた父親はどうなのよ?」と思ってしまう私。息子のパワフルさを見ていると、とても一人で対応できない気がするのですが^^;

先日、実家の鹿嶋にいる父から電話がありました。
「昔の俺が子どもだった頃の貴重な写真が出てきたから、保存したい。頼めるか?」といった内容の電話でした。以前、明治or大正時代の「ガラス写真」をスキャナーで読んで保存したこともあるので、問題ないと思い「大丈夫!」と引き受けました。

先日の日曜日(23日)、鹿嶋から両親揃って来ました。母は2月に大腸ガンの手術をして以来、初めてこちらに来ました。2人とも元気そうで一安心。でも、「12時ごろに着くように行く。」と言っていたのに11時ごろに到着。予定が狂ったため、友達と外出していた娘が戻らず、私も1時間くらいかけてさばける仕事に手をつけたばかりだったので若干困りましたが。まぁ、予定より早く着きすぎるのは父親のいつもの癖なので、ある程度予想はしていましたが。。。

父親の初節句(昭和16年)

父親の初節句(昭和16年)

 持ってきた写真は、今から70年ほど前の父親の生まれた満州で撮られた写真が6枚。こんな感じ。

他にも、弟さんと写っている写真、母親(私の祖母)と写っている写真、満州で住んでいた家の玄関が映っている写真など。。。

それぞれの写真の裏には私の祖母の字で説明書きがありました。左の写真には「16.5.5 ○○(父の名前)初節句」という感じで。その祖母の説明書きも残したいということでしたので、表と裏をセットで印刷し、額に入れました。

 

 

 

 

 

 

  

 

満州の頃の父親の写真(祖母の裏書とともに)

満州の頃の父親の写真(祖母の裏書とともに)

さすがにこの時代の写真は白黒で、紙もきれいな長方形をしておらず、若干いびつでした。でも、それだけに歴史を感じます。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

そして、預かった写真には私の小さい頃の写真もありました。初めて見た写真でした。

私と母との初節句の写真(今から41年前…)

私と母との初節句の写真(今から41年前…)

私の顔も、母の顔も、今とは全然違う感じです(^_^;)
この写真はカラー写真だったので、スキャナーの「退色復元機能」でかなりきれいな色で保存できました。 

この写真は、母に許可を取っていないので、これ以上の拡大写真は載せられません。(というか、私もあまり…)なので、拡大写真へのリンクはありません。ご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これらの写真は、先日父が佐賀の実家に帰った際に偶然出てきたとか。佐賀の実家は、祖父母ともに既に他界しており、佐賀県内に住む父の弟さんと妹さんが時々家の様子を見に行っていると聞きましたが、私は10数年前の祖父の葬儀以来、一度も行っていないので今どうなっているのかよく知りません。
満州から引き揚げる時には、命からがら必死の思いで引き揚げて来たとよく聞きます。というか、そうだったんだろうなぁと思います。満州に住んでいたころの話は父から時折聞きましたが、引き揚げる時の話は殆どしてくれませんでした。ただ、昔一緒に住んでいた頃、ニュースで「中国残留日本人孤児」の話題が出ると「俺も一歩間違えば、同じ運命だったかもなぁ。。。」としみじみ言う父が印象的でした。だからこそ、父は満州に住んでいた頃の写真が今も残っているとは夢にも思わなかったのでしょう。「命からがら逃げてきたのに、よく持って帰って来たなぁ。」と思っていたのだと思います。そんな写真だから、ちゃんと残してあげないと。と思って、裏表セットで印刷してみました。
今週中には両親の手元に行くように手配します。。。
※アップした後に気付いたのですが、最後の私の写真は初節句ではなくて「お宮参り」かもしれません。。。

以前のブログにも書きましたが、今年1月、1歳になったばかりの息子が手術を受けました。病名は「そけいヘルニア」いわゆる脱腸です。私も赤ちゃんのときに手術をしたことは聞いていました。なのでその時、「親子で同じ病気か…」と思っていたのですが。。。

実は、その息子の手術が終わってしばらくしてから、私自身の体の異変に気づいていました。立ち仕事を続けていると足の付け根と下腹部のあたりに痛みが出るようになりました。
頻繁に出るというわけではなかったので、そうは気にしていなかったのですが、日が経つにつれて回数は多くなり、痛いところが腫れていることに気付きました。インターネットで調べてみるとどうやら「そけいヘルニア」のようです。赤ちゃんの頃の「そけいヘルニア」と大人になってからの「そけいヘルニア」は原因が違うとか。ならば、大人になってからまたなってしまうのも仕方ないのかもしれませんが、でも正直最初は「なんでまた同じ病気に!?」と思いました。でも、命にかかわる病気ではないので、しばらくは様子を見ることにしました。腫れている=腸が出ているということだろうから、押すと戻ります。しばらくはそうしていました。

が、4月の10kmマラソンに出た頃からくしゃみや咳をするときにその下腹部に痛みが出るようになってきました。腫れもだんだん大きくなってしまいました。そこで、顧問先でもある近くの内科医の先生の診察を受けたところ、やはり「そけいヘルニア」の診断。早めの手術を勧められ、病院も紹介していただきました。

4月12日にその紹介してもらった石岡市の病院へ。
診断はやはり「そけいヘルニア」でしたが、より詳しく調べるためにとその日のうちにMRI検査などの主要な検査を受診しました。他の病院ではMRI検査などは行った当日に受けられることはまずないので、その素早い対応は有難かったです。
痛みがあるので手術は早い方が良いとは言うものの、病院側の都合と2月決算の当社は4月中に決算書類を税務署等に提出しなけらばならず、その作業が月末までかかりそうだったので、4月27日手術・入院と決めました。

4月中旬からほぼ毎日深夜まで決算処理の作業を行ないました。が、税務署に提出できる状態になったのは26日の夜11時頃^^;
28日や30日に私が元気ならば(同じ手術をした息子が翌日には普通に歩いていたので…)税務署まで行きますが、そうはいかない可能性も高いので、なるべく突っ込まれずに済むように完璧に近い状態まで仕上げたいと思った事と、今回から消費税の納税が必要になったことも作業が手間取った原因でした。で、帰宅したのが夜12時頃。手術当日です(^^ゞ

27日は病院の指示で朝食抜き。水分は朝9時まで許可されていたので、水だけ飲みました。
事務所のシャッターを開けて掃除を済ませ、妻と息子の3人で病院へ。
入院手続きを済ませて、病室へ。手術着に着替えた後、点滴を開始、そして剃毛。それまで元気に動いていたのに、一気に病人になりました(^^ゞ

午後、1コマだけ授業があるので妻と息子は一旦病院を離れました。学校が終わって帰宅した娘と共に再び病院に来たのは夕方4時半頃。そして、その時に撮った写真がこれ。

手術室に入る前の私

手術室に入る前の私

この写真を撮って5分後位に手術室に呼ばれました。。。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
手術室に入ると、先生の趣味なのかチャゲ&飛鳥の「YAH YAH YAH」が流れてました。手術台に上がり、先生としばらく会話した後、麻酔が効いたのか記憶は途切れました。。。

目が覚めたら病室。7時過ぎ頃だったでしょうか。
起きた途端に気分が悪くなりおう吐。手術した翌日に退院するつもりでしたが、何となく自信がなくなるほどの体調。切ったところは激痛でしたし。。。

痛みでほとんど夜は眠れず、翌28日朝の6時半頃の検温は37.6℃。激痛は引き続きありました。。。
朝食は「(痛み止めの)薬を飲むために」と思って何とか半分だけ食べましたが、痛みで座っているのが辛く、薬を飲んですぐに寝ました。でも、その薬が効いたのか、徐々に熱は下がり、トイレも歩いていけるようになりました。
昼ごはんまでの間に割りと眠れたのである程度楽になり、昼ごはんは完食出来ました。
この日の午前中、妻が税務署へ決算書を届けに行ってくれました。準備をした甲斐あってか割りとスムーズに事が運んだ様子でその後の県税事務所や市役所も無事に終わったとのことで一安心しました(^^)v
その後の回診で、「あとは家でゆっくり休んで!」と退院の許可を頂きました。
家に帰り、夕飯を食べた後は翌朝まで爆睡。痛みは徐々に消えているものの、相変わらずありました。特にベットへ入るときやベットから起き上がるときには激痛。歩くのもまともに歩けない状態で、椅子に座ったら痛い状態でした。。。

翌29日、午後テレビを付けると「ルーキーズ」の再放送が。椅子に座ってずっと見ていましたが、痛みもほとんどなく過ごせました。夜、シャワーを浴び、早めに就寝。ところが、ベットに寝転がることもベットから起き上がることも痛くて出来ませんでした。「シャワーで傷口が開くようなことをしたのか?」と思いましたがはっきりとした原因が分からず、激痛に夜中3時半頃まで耐えた後、ふと気付きました。病院で「これでおなかを締めておくと、傷口に負担がかからず楽だから。」と渡されたベルト状のコルセットがだいぶ下に巻かれていたようで、おなかを締めるのではなく傷口を圧迫しすぎていました。ベルトを上にずらすとそれまでの激痛が消えてくれました^^;

30日には、そのベルトも外して過ごすことが出来ました。そして今日5月1日は車の運転もできました。これから、ひたちなか市までパソコンの納品に行ってきます。その後、病院に行って傷口を見てもらい、経過が良ければ抜糸をしてもらえるらしいです。。。

「それにしても、親子(私と息子)で同じ年に同じ病気で同じ手術を受けるなんて、そこまで仲良くなくてもいいのに…」と妻が笑っていました。同じ病気で同じ手術なので、息子と同じように翌日には普通に生活できると思ったのですが、そこまで一緒とはいきませんでした(^^ゞ

2月22日の朝、私がジョギングに出ている時に自宅に電話がありました。「私、今入院しているの。」と言う電話を妻が受けましたが、その“私”が誰だか分からなかったそうです。「どちら様ですか?」と聞いた妻に「○○子(私の母の名前)よ。」と答えたそうです。それ位、普段の母の声とは明らかに違う声だったそうで、心配になった私はその朝、父親に電話をしました。

「余計な心配させたくなかったから、電話しなかったけど、20日から入院している。あまり病状は良くない。」と聞きました。ただ、「はっきりした診断が下るまでは見舞いは控えてくれ。」とも父に言われました。そう言われるととても心配でした。。。
正月に実家に帰ったとき、顔色が真っ白で急に痩せ細った感じになっていたので心配はしていました。後で聞きましたが、2月になってからはかなり体調が悪かったようで、全身が浮腫んで歩く事ができないようになり、20日に私の妹が住んでいる水戸の総合病院に入院したとの事でした。最初の検査が終わった後、先生に言われた言葉が「よくこの状態で生きておられました。」だったそうです。末期の大腸ガンで排泄が出来ない状態、血液中のヘモグロビンが異常に少ない状態等、総合的に見ての言葉だったようです。入院後、血液の状態を改善させる為に昼夜を問わず輸血が行われているそうでした。

私が初めて面会に行ったのは、2月27日でした。(なので、この日は埼玉に行けなかった。)この日まで1週間連続で輸血が行われていたそうです。それでも、顔を見た時は別人のようでした。生気がなく“生きている”感じの顔ではありませんでした。
話す内容も「家族に迷惑をかけたくなかったから、入院にずいぶん躊躇していた。。。」と言っては泣いていました。とは言え、救いだったのは食欲があったこと。近くに住む妹にお菓子やケーキの差し入れを電話で伝えていたようでした。ところが、「検査の為、しばらくの間は絶食して下さい。」とお達しが来たのがその27日でした。「あ~ぁ、食べるのが唯一の楽しみだったのに。」と言う母に「検査や手術が終わったらまた食べられるから、それを目標にして頑張れ!」と言いました。ただ、気が滅入ってばかりでは良くないと思ったので、少しでも気分転換になればと「ラジオでも聴けば?」と水戸駅近くのYAMADAで携帯ラジオを買って渡しました。本当は、「『楽天力』を身につける10の法則」の本も買って渡したかったのですが、行った本屋では在庫切れでした…

3月3日、再び病院へ。前回よりは少し顔が元に戻っていました。手術が5日(金)に決まったとか。少しは心中穏やかになったのか「まな板の上の鯉だから、先生に任せる」と母は言っていました。
ちょっとでも前向きに生きて欲しくてインターネットで購入した「『楽天力』を身につける10の法則」の本を渡しました。その際、「プラス思考の人は難病も治す」というページにしおりをはさみました。そこには、「ガンを手術した後に『もうダメだ』と絶望的になり、マイナスの選択をした人は免疫力が効かなくなり、5年後の生存率はわずか23%と極めて低いものとなりました。
一方、『必ず治る』とプラスの選択をし、楽観的な見通しをした人は、免疫力が強く、手術後5年の生存率は86%にもなっていました。」という九州大学医学部でのガン患者の手術後の調査結果について書かれているページです。
この本を渡しつつ、「とにかく『治る』とプラス思考で考えて頑張ってくれ!」と言って病室を後にしました。

3月5日、午後1時から手術でした。父と妹は病院へ。私は仕事をしながら連絡を待ちました。嫌な事は考えたくないので、意識して仕事を入れて忙しくしてなるべく考えないように過ごしました。手術が終わった筈の夕方5時を過ぎても連絡はありませんでした。私は出張サポートへ行っていましたが、その仕事が終わった6時半頃に父に電話を入れ「手術は大成功!ただし、握りこぶし大の腫瘍が2つもあったそうだ…他には転移していないそうだから、大丈夫だろう。」と聞きました。成功したと聞いて涙が出ましたが「何でそんなになるまで我慢したのだろう。。。」とも思いました。本人は気付かなかったそうですが、痛みとかあった筈なので。。。

3月7日、手術後初めて見舞いに行きました。明らかにこれまでとは顔色が違います。そこで初めて私も「治るかも!」と思えるようになりました。「『楽天力』を身につける10の法則」の本にもあるように、母本人が「必ず治る」と思って欲しいと思います。

正直、2月27日に初めて病室の母を見た時は「ダメかもしれない」と言う思いがよぎりました。そうなると「トイレの神様」の歌詞のように、「病室へ見舞ったのが最後に見た顔になるんじゃないだろうな。」と言う嫌な思いもよぎりました。そうならなくて良かった。
後は、「必ず治る」と言う思いと、転移しないように「プロポリス」を毎日飲んでもらわないと。ちなみに、これまで母は風邪をひいた時やよっぽど体調が悪い時などに少し「プロポリス」を飲む位で、普段は殆ど飲んでいなかったそうです。理由は「苦いから」と子供のような言い訳で、父とよく喧嘩をしていました(^^ゞ

これから母が入院している間は、仕事が休みの時などは極力お見舞いに行こうと思っています。。。

昨日、埼玉のIT顧問先へWindows7のデスクトップPCを納品しました。
何故埼玉かと言うと、かつてまだ私がPC教材販売会社の社員だった頃、「いずれは独立する」事を前提に開発を進めていた“美容室用顧客管理ソフト”を美容室に出入りしている業者さんが知り、その業者さんが埼玉県蓮田市で独立・開業するオーナーを紹介してくださり、それが縁で“美容室用顧客管理ソフト”やデスクトップPC、FAX等のIT機材をお店のオープン時に納品し、ホームページ作成・更新を請け負っています。IT顧問としてお付き合いを始めて今年の春で丸7年になります。。。

今年になって、その7年前に納めたデスクトップPCの“寿命”が近づいてきました。使用中に突然電源が落ちる事、数回。。。電源が落ちないまでも、極端に動作が遅くなったり、PC本体からの大きな“異音”が続いたり。。。
HDDのエラーチェックやPC内の清掃などを行い、「しばらく様子を見て下さい。次にまた電源が落ちれば、その時は新しいPCに入れ替えた方が良いかも。調子の悪い状態が続き、それ以上の重大な故障になるとHDDのデータが全く読めなくなる等の取り返しのつかないことになるかもしれませんので…ただ、一般的にはPCの寿命は5年前後ですが、美容室は店内にパーマ液などの薬剤が充満しているので、それを吸い込む為に機械が壊れやすいという事も聞きます。そう考えるとそろそろダメかも…」とお話したのが1月の終わり頃(もしかすると2月の初めかも…)でした。

それから1ヶ月も経たない2月27日に「また電源落ちました(>_<)」の電話があり、3月1日に訪問してPCを診断した後の検討の結果、“新しいPCへ代替”となり、その日にPCをお預かりして帰りました。その後、Windows7のデスクトップPCを富士通から仕入れ、初期設定・旧PCからのデータ移行等を行い、昨日そのWindows7のデスクトップPCを納品してきました。
Windows7の応答性の良さと画面のキレイさに感動して頂いている様子で、納めた甲斐がありました(^.^)

その埼玉からの帰り道、FMラジオで「今、『泣けると評判の曲』です。9分52秒の大作ですが、全て聴いて下さい。」と言って曲が始まりました。その曲とは「トイレの神様」と言う曲。変わったタイトルですが、シンガーソングライターである植村花菜さん自身が、おばあちゃんとの思い出と感謝を込めて作った曲だとか。歌詞がインターネットに出ていたのでアドレスを。http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND88524/index.html

この「トイレ掃除だけ苦手な私に おばあちゃんがこう言った トイレには それはそれはキレイな 女神様がいるんやで だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに べっぴんさんになれるんやで」と言う部分に「おばあちゃん、うまい事言うなぁ~」と感心しました。さらに聴いていくと、成長した娘が親元を離れるように、おばあちゃんとも疎遠になるくだりがあり。。。

さらにさらに聴いていくと、「上京して2年が過ぎて おばあちゃんが入院した 痩せて細くなってしまった おばあちゃんに会いに行った 『おばあちゃん、ただいまー!」ってわざと 昔みたいに言ってみたけど ちょっと話しただけだったのに 『もう帰りー。』って 病室を出された 次の日の朝おばあちゃんは 静かに眠りについた まるで まるで 私が来るのを 待っていてくれたように ちゃんと育ててくれたのに 恩返しもしてないのに いい孫じゃなかったのに こんな私を待っててくれたんやね…」と言う歌詞で泣けました。ある部分、私の最近の体験と似ていたから。私の場合はおばあちゃんではなく、母ですが。。。

その2へ続く。。。